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 日本建築は、伝統的には中国建築の一支流として位置づけられ、木造建築が主流を占める。従って、柱や梁など直線的な材料で組み立てた構造となるが、中国建築の多くが木材の露出部を彩色するのに対して、日本建築は白木のままを基本とするなど、中国とは異なる特質をしている。
 一方、西欧諸国などの外国の建築は、れんが造や石造のものが多く、それらは壁を主体とする面的な構成をとるのに対し、日本建築では線的な構成となる。入口や窓などの開口部を例にとれば、日本建築ではその上部に楣と呼ぶ水平材を置くが、外国では湾曲するアーチでせり上げるのが通例である。いわば、日本建築は
組み立て式であり、西欧諸国の建築は積み上げ式である。
 また、日本は古くから建築用木材に恵まれていたが、巨材を挽く鋸がなく、製材上の工具に難があったため、もっぱら木目に楔を打ち込んで裂き割る方法がとられた。そのため、平滑に裂けやすく耐用年数も長い
ヒノキが多用された。室町時代中期に大鋸が用いられるようになり、各種木材の製材が容易になったため、中世以降ではマツ、近世以降ではスギが住宅の用材として利用されている。 
【宇和町 H院】   ※当社施工

  時代と共に移り変わった日本建築ですが、現在の建物にもその面影は残っています。
  もう一度、日本建築の良さ、日本特有の『和』を見直してみませんか?
縄文時代 弥生・古墳時代 飛鳥・奈良時代 平安時代
竪穴式住居 高床式倉庫 寺院建築 和様・寝殿造
【特色】 【特色】 【特色】 【特色】
竪穴式住居は、地面に穴を掘り、その中に複数の柱を建て、梁や垂木をつなぎ合わせて骨組みをつくり、その上から葦などの植物を利用して屋根を葺いた建物。登呂遺跡、三内丸山遺跡などがある。 高床式倉庫は、竪穴式住居とは違って地上に高くつくられるので、建物内が乾燥するため、倉庫のみならず、住居としても建てられるようになった。また、古墳時代には壁にカマドを設けるようになる。 6世紀中頃、本格的な寺院建築として飛鳥寺が起工。朝鮮半島や中国から建築技術を取り入れた時期で、在来の堀立て柱の建物とは全く違った礎石建ちの工法がとられた。それは、直線的な造形の素朴な建築に比べると、非常な技術的格差であった。 建築様式も日本化し、柱を細く、天井を低めにした穏やかな空間の仏堂が造られるようになり、日本独自の形態として発展した。この建築様式を和様という。また、貴族住宅の様式として寝殿造と呼ばれる建物が建てられた。

<竪穴式住居>
登呂遺跡

<高床式倉庫>
ネズミ返しがある

<現存最古の伽藍>
法隆寺西院伽藍

<寝殿造>
寝殿造の模型

鎌倉時代 室町時代 安土・桃山時代 江戸時代
新和様・武家造 書院造 城郭・茶室 数寄屋造
【特色】 【特色】 【特色】 【特色】
新しく中国の大仏様、禅宗様の建築様式が導入され、日本建築は著しく発展した。大量生産が可能なよう部材を標準化、建物の強度を図るため各柱は貫で連結、屋根は野屋根をつくらず勾配の強い屋根とし、軒も一軒とし、軒の隅は扇垂木として放射状に収めた。この様式は新和様と呼ばれて広く普及した。また、武家住宅の様式とし武家造が建てられた。 室町時代中期以降に住宅の様式として書院造が成立した。建物の内部を引き戸建具や壁で幾つかに仕切り、天井を張り、床の間、違い棚、付書院などの座敷飾りを客間に備え、敷地を含み客を迎え入れる所と、家族が普段の生活をする所に分けられていたが、構造としては、角柱に貫や桁、長押などの角材を用いた軸組構造である。 室町時代の末期から城郭建築が発展し、権力のシンボル的な天守閣が築かれ、御殿は華麗な障壁画で装飾された。また、室町時代に始まった茶の湯が千利休によって大成され、茶室(庭園に面した別棟として造られた小規模な建物)が生まれた。 安土桃山時代に大成した茶室を取り入れた住宅の様式を数寄屋造という。数寄屋建築は、書院建築が重んじた格式・様式を極力排しているのが特徴で、虚飾を嫌い、内面を磨いて客をもてなすという茶人たちの精神性を反映し、シンプルながらも洗練された意匠となっている。

<城郭>
姫路城天守群

<武家造>
武家屋敷

<書院造>
二条城二の丸書院

<茶室>
兼六園

<数寄屋造>
数寄屋風床の間

明治時代 大正時代 昭和時代 現在
洋風・和風住宅 文化住宅 モダニズム建築 中央綜合建設㈱
の工法
【特色】 【特色】 【特色】
江戸時代では住宅も身分による統制が行われていたが、明治時代になると建築に関する封建的な規制もなくなり、資力に応じて住宅を造るようになった。アメリカなどと修好通商条約を結んでからは西洋建築の技術にも刺激され、大工道具の質も上がり建築の質は全体に向上していった。この時代、洋風住宅に住んでいたのは、政治家や実業家など限られた者で、ほとんどは和風住宅に住んでいた。また、公共建築でも日本人独自の擬洋風建築が始められた。 日本において建築とは、まず近代化のために西洋から学ぶべき技術として捉えられ、芸術・美術と捉える意識が薄くなった。また、関東大震災などで大きな被害を受けたことから、日本独自の耐震構造技術への関心が高まった。また、洋風の生活に憧れ、一部洋風を採り入れた和洋折衷の文化住宅が都市郊外に多く造られるようになった。しかし、家の中では靴を脱ぎ、畳でくつろぐといった生活スタイル自体はほとんど変わらなかった。 明治~大正時代に伝えられた鉄筋コンクリート造の使用が一般的になり、各地にモダニズムの公共施設が建設された。地震の多いことが日本の課題であったが、耐震構造技術が進み、かつては31mに制限されていた規制も緩和され、超高層建築が建てられるようになった。モダニズム建築の騎手には、前川國男や丹下健三らがいる。丹下健三の代表作に香川県庁舎(現・東館)がある。この頃住宅は、ダイニングキッチンなどが新たに工夫された。 在来工法
土台や柱、梁などを用いて組み立てられる日本の伝統的な建築構法

スーパーウォール工法
トステムが推奨する独自の高性能パネルによる高気密・高断熱・高耐震構造で送る快適な住まいづくり

気密ダイライト構法大建工業のダイライト構法の基本性能をそのままに、さらに気密をプラスした構法で次世代対応型です。

ダイライト構法
大建工業が推奨する壁倍率5倍の耐震性・防火性・耐久性に優れたエンジニアリングパネルを使用するいい家づくり。

<擬洋風建築>
旧開智学校

<文化住宅>

<モダニズム建築>
香川県庁舎:東館
 これまで、日本の住宅に床の間のない家は考えられなかったのですが、今日では洋風の住まいが普及し、新築の家は、和室と共に床の間のある例が減少してきています。『和』は日本の伝統技術です。当社は、その伝統技術を大切にし、さらに新しい技術を取り入れ、安心して住むことのできる住まいづくりをご提案します。
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