「建築」と私
建物・家を設計する、施工する、監理する、あるいは何もないところにマンションを建築する、または、土地を探して建築主のニーズにあった建物を造るなど、建築というジャンルの中で実に様々な仕事に関わってきました。そんな中、自分としての立場で思うことを独断と偏見で書きたいと思います。ご意見等も紹介していきますので、賛成・反対等遠慮なくメールください。
●社会人になって 97/07/23
社会に出たとき、勤める会社として「竹中工務店」を選びました。東京タワーを造った・近所の市役所を建てたなどが小さい頃からの竹中工務店のイメージです。
そこで何をやってきたかと言われても、ひとことでは語り尽くせませんが、物を創ることを学びました。11年間に渡って勤務して、いろいろな他ではできない経験をしました。東京ドームの建設にも関わったし、大阪ドームの設計コンペにも参加しました。
そして、6年前に生まれ故郷である、愛媛県東宇和郡宇和町へ帰ってきました。それからは、住宅について研究し、三井ホームの仕事にも携わり、現在は住宅と公共建築を中心に仕事をしています。
●私とは...建築家? 97/07/09
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私を「建築家」と呼べば、ちょっとかっこ良すぎるかもしれませんが、ここだけでいいですからそう呼ばせて下さい。実際は、設計者兼施工者兼管理者兼経営者兼宅地建物主任者兼現場監督兼.....といったところです。小さい頃から建築家になろうと思っていたので、ずーと建築と何らかの形でかかわっています。そのころの建築家というのは、もっぱら設計者に近かった気がします。
大学の頃、コンピューターと巡り合い、その魅力に取り付かれました。本当は、デザイナーを目指していた自分でしたが、有限要素法という魔術師に建築構造の世界へ引き込まれました。もう20年近く前になりますが、当時としては大型コンピューターを操りながら時代の最先端を走っているような気分にさせられていました。
その頃、1台目のパソコン”シャープ MZ−80B”を購入しました。まだ、マイコンと読んでいた頃で、それがいつの間にかパソコンになり、また、シャープもNECに押されて姿を消してしまっているのが残念です。性能も今のものと比べるとずっと低く、スペースインベーダーがなんとかできたのと、ソフトというものはほとんど市販されてなく、使用するソフトはすべて自作であったことが印象に残っています。basicとか機械語が懐かしい。。。毎日、10人近くの友達が私の下宿に集まって、徹夜でプログラムをうちこんでいたように記憶しています。
話題が、「コンピューターとの出会い」になりましたが、その後の経過は、段を改めて述べたいと思います。
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