まつやまワールド    WORLD X

奥穂高岳 2003.8.3 Part2

ザイテングラート〜奥穂高岳

早朝、上高地を出ると涸沢到着は昼過ぎになる。本谷橋からの登りでもたもたすると、2時頃になってしまう。
しかし、ここから穂高山荘までは地図で2時間半、2450mということなので、そう難しくないという気がする。
実際は早くてザイテングラートは3時間と読むべきで、我々はさらに20分ほど要したのだった。
このコースは初級であると言われているが、決して甘く見てはいけないのである。


29.岩場の下山者

 ザイテングラートは予想以上の岩場であった。下山してくる人達を見ると、あんなところを登って意かなければならないのか、という思いがした。
 また、山荘までどれくらいかかるか、と聞いてみても、まだまだ何時間もかかるというような返事ばかりで、地図に書いてある2時間半というのは夢のようだった。
2003年8月2日(土) 16時07分
30.尾根上の休憩

 休憩は何度も取った。多くの登山者がそうしていたようだった。
 時間が遅いためか、もう上がってくる人はまばらである。ザイテングラートの道筋に堂々と腰を降ろして休んだ。ちょっとづつ、休憩を取りながら登るのも、また、登山のコツである。
2003年8月2日(土) 16時22分
31.険しい登山道

 ガイドブックやビデオに解説してある印象と比べると、実際のザイテングラートは厳しいと思う。実際に岩場が急登であり、はしごや鎖場などもある。登山道、というよりも、なんとか岩を渡り歩いて、しかも、登っていく。
2003年8月2日(土) 16時33分
32.遙か下の涸沢ヒュッテ

 登山道が急な分、どんどん高度を稼いでいく。涸沢ヒュッテは見る見る小さくなる。
 屏風の頭も、目線より下になってくる。
2003年8月2日(土) 16時56分
33.厳しい尾根はまだまだ続く

 登れども登れども岩を積み重ねたような道は続く。
 「氷壁」で最後の場面でヒロインがここを登るのだが、なかなかこれまできついと大変だったろうなあ、などと余計なことを考えながら登った。
2003年8月2日(土) 16時56分
34.登っても登っても岩が続く

 結局、このガレた道を延々と登るのがザイテングラートだということがわかった。その距離は、946m。
2003年8月2日(土) 17時13分
35.ザイテングラート上部
 
 もう、ほとんど歩くのがいやになっているころ。
 あと少し、あと少しと励まし合いながら登ったのであるが、早朝からの行程なので疲労もピークとなる。女性を二人ここまでに追い越した他は、ほとんど追い越されていった。
2003年8月2日(土) 17時13分 
36.常念と同じ高さに

 屏風の頭を見下ろし、常念岳もほぼ目線の位置まで登り詰めた。この山の高さを実感するところである。
 昨年は2350mの涸沢まできて高いところまでやって来たと感じたが、今年はいよいよ3000mに迫ろうというところまでやってきた。
2003年8月2日(土) 17時23分
37.突然小屋が見える

 最後の道を回り込んだら、小屋が目に入った。達成感、というか、うれしかった。
 穂高山荘もビデオで見ると、かなりゴージャスな宣伝であったから、かなり、期待して胸が膨らんだ。
2003年8月2日(土) 17時38分
38.最後は雪蹊の道

 山荘までの最後は、雪蹊の緩い登り。今日の朝からを思い起こし、そのフィナーレを迎えることが、やっとできるという思いだった。ちょっと、大げさかもしれないが、何のために山に登ってきたのか、苦しみだけなのにここまで来たのはこの瞬間がこの日のゴールだからという、ただそれだけなのだ。明日の楽しみは、ちゃんとあるのだけれど。
2003年8月2日(土) 17時42分 
39.穂高岳山荘到着

 これが夢にまで見た穂高山荘である。何度も何度もビデオを見直した。太陽のロビーなどもあると聞いていた。しかし、小屋は小屋。あまり、高い期待を持つのはよくなかった。これだけの標高に、多くの登山者をもてなすということだけで、山荘の持つ意義は計り知れない。
 ゆっくりくつろぐというところまではいかなかったが、お陰で1日の疲れた体を休めることができた。混んでいる時の山小屋泊まりとは、そういうものである。
2003年8月2日(土) 17時44分
40.夕暮れの前穂

 食事を終えて、山荘前の広場に出てみた。穂高山荘から前穂はこのように見える。ややガスがかかってきており、明日の天気が心配されたが、もう、ここまできたら天気予報を信じて明日を待つしかない。
2003年8月2日(土) 19時04分
41.日没後の涸沢ヒュッテ

 井上靖の「氷壁」では、最後にヒロインが夜になってここまで登ってくる。そして、穂高山荘へ扉を開けて入る。それは7月のことであるから、もう少し雪があったのかもしれない。
 「氷壁」は、小説でありながら、実際にあったことのようだ。この穂高連峰を舞台にして、滝谷D沢を登る主人公。そのクライマックスがこの場所だったのだ。
2003年8月2日(土) 19時04分
42.日の出前の表銀座

 ちょうどご来光は、常念岳方向。
 多くの人が、この瞬間を待ちわびていた。
2003年8月3日(日) 4時54分
43.ご来光

 ほぼ水平線の向こうから太陽が見えた。常念岳も三角錐の形で一目でわかる。
2003年8月3日(日) 4時57分
44.朝焼けに染まる奥穂
 
 奥穂も赤くなった。
2003年8月3日(日) 4時59分
45.朝日を浴びる前穂

 前穂は西面になるので、朝日を浴びるものの、赤くならない。去年横尾から見ると、前穂東壁が朝焼けに染まっていた。
 よく考えるとそこは、「氷壁」でザイルが切れた、前穂東壁Aフェースだ。今回、前穂山頂からそれを見よう、と思っていたが、残念ながら前穂へは登らなかった。
2003年8月3日(日) 4時59分  
46.奥穂への登山

 次々に奥穂山頂を目指して登山者が行く。穂高山荘すぐ横の、この2段のはしご辺りが一番の難所であった。
2003年8月3日(日) 5時51分
47.穂高山荘を眼下に見ながら

 山荘の横をどんどん登っていく。
 夕べほとんど眠れなかったのと、高山病とまでは言わないけれど、疲労が蓄積して睡眠で回復できなかったためか、体が重い。山に慣れてないということなのだろうか、元気が出ないが、気持ちだけは張り切っていて、ちょっとづつ前進していく。
2003年8月3日(日) 5時57分
48.次々と現れる登山者

 登山者は後から後から我々を追ってくる。ちょっとでも休憩をしていようものなら、どんどん追い越されていく。原因は疲労した身体かな、などと思ったりする。他の人は、2、3泊の予定できているのだ。我々は、1泊。明らかに1日の行動距離が違うのである。
 せっかくここまで来るんだったら、ゆとりをもった計画にすべきだと思った。しかし、それは実際には不可能なのである。
2003年8月3日(日) 6時15分
49.奥穂側から涸沢岳

 控えめにそびえる涸沢岳。
 時間があったら、そこへも登ってみたかった。
2003年8月3日(日) 5時57分
50.槍が北穂の向こうに見える

 初めて槍が見えた。槍を見たのは何年ぶりだろう。蝶が岳以来だ。
 槍へ登った日は、日程の選択が悪く、ガスっていた。それ以来、基本的には晴れの日にしか、登山はしないようにしよう、ということにしたのだった。
2003年8月3日(日) 6時14分
51.笠ヶ岳

 新穂高温泉を挟んだ西側にそびえる笠ヶ岳。最近になるまで気にならなかった。しかし、槍穂へ行った人は必ずレンズに納めている。
 かなり、宇和からは遠いので、登ることはできないかも、などと思う。
2003年8月3日(日) 6時15分
52.涸沢岳山頂の登山者たち

 14倍のデジタルズームで撮影。多くの人が登っていた。
 次回はゆとりを持ってきて、涸沢岳、ジャンダルム、前穂へも行きたい。
2003年8月3日(日) 6時27分
53.奥穂から見た槍

 いよいよ槍もはっきり見えてくる。いつも、インターネットライブで見ているが、実際に見るのは感無量である。
2003年8月3日(日) 6時27分
54.前穂

 前穂の1,2,3峰も同じ高さになってきた。
 この写真では、4峰・5峰・6峰まで入っている。
2003年8月3日(日) 6時28分
55.奥穂山頂への道

 かなり、大きな石ころだらけ、岩だらけの道である。山頂までは、この道をただひたすら登るのみである。
2003年8月3日(日) 6時33分
56.新穂高温泉方面

 この谷間に蒲田川が流れ、新穂高温泉がある。新穂高ロープウェイもあるが、自分にとってはまだ、未開の地なのだ。
2003年8月3日(日) 6時35分

登山者は50〜60歳代の人が半分以上を占めた。親子連れが数組。中年は少ない。
穂高山荘は、1畳に2名。寝返りをうったりすると肩が当たって目が覚めてしまう。
眠るというより、目を閉じているだけといった感じだ。また、神経が高ぶって疲れているのに眠れない。
寝袋を持っている人は食堂で寝ている人もいたが、こちらも大勢の人が出入りして眠れなかったそうである。
トイレにはひっきりなしに誰かが向かう。きっと眠れないのだろう。
朝食は5時からと聞いていたが、やや早めに始まった。ご来光を見ていたら、1番のりできなかった。

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