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29.岩場の下山者
ザイテングラートは予想以上の岩場であった。下山してくる人達を見ると、あんなところを登って意かなければならないのか、という思いがした。
また、山荘までどれくらいかかるか、と聞いてみても、まだまだ何時間もかかるというような返事ばかりで、地図に書いてある2時間半というのは夢のようだった。
2003年8月2日(土) 16時07分 |
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30.尾根上の休憩
休憩は何度も取った。多くの登山者がそうしていたようだった。
時間が遅いためか、もう上がってくる人はまばらである。ザイテングラートの道筋に堂々と腰を降ろして休んだ。ちょっとづつ、休憩を取りながら登るのも、また、登山のコツである。
2003年8月2日(土) 16時22分 |
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31.険しい登山道
ガイドブックやビデオに解説してある印象と比べると、実際のザイテングラートは厳しいと思う。実際に岩場が急登であり、はしごや鎖場などもある。登山道、というよりも、なんとか岩を渡り歩いて、しかも、登っていく。
2003年8月2日(土) 16時33分 |
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32.遙か下の涸沢ヒュッテ
登山道が急な分、どんどん高度を稼いでいく。涸沢ヒュッテは見る見る小さくなる。
屏風の頭も、目線より下になってくる。
2003年8月2日(土) 16時56分 |
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33.厳しい尾根はまだまだ続く
登れども登れども岩を積み重ねたような道は続く。
「氷壁」で最後の場面でヒロインがここを登るのだが、なかなかこれまできついと大変だったろうなあ、などと余計なことを考えながら登った。
2003年8月2日(土) 16時56分 |
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34.登っても登っても岩が続く
結局、このガレた道を延々と登るのがザイテングラートだということがわかった。その距離は、946m。
2003年8月2日(土) 17時13分 |
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35.ザイテングラート上部
もう、ほとんど歩くのがいやになっているころ。
あと少し、あと少しと励まし合いながら登ったのであるが、早朝からの行程なので疲労もピークとなる。女性を二人ここまでに追い越した他は、ほとんど追い越されていった。
2003年8月2日(土) 17時13分 |
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36.常念と同じ高さに
屏風の頭を見下ろし、常念岳もほぼ目線の位置まで登り詰めた。この山の高さを実感するところである。
昨年は2350mの涸沢まできて高いところまでやって来たと感じたが、今年はいよいよ3000mに迫ろうというところまでやってきた。
2003年8月2日(土) 17時23分 |
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37.突然小屋が見える
最後の道を回り込んだら、小屋が目に入った。達成感、というか、うれしかった。
穂高山荘もビデオで見ると、かなりゴージャスな宣伝であったから、かなり、期待して胸が膨らんだ。
2003年8月2日(土) 17時38分 |
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38.最後は雪蹊の道
山荘までの最後は、雪蹊の緩い登り。今日の朝からを思い起こし、そのフィナーレを迎えることが、やっとできるという思いだった。ちょっと、大げさかもしれないが、何のために山に登ってきたのか、苦しみだけなのにここまで来たのはこの瞬間がこの日のゴールだからという、ただそれだけなのだ。明日の楽しみは、ちゃんとあるのだけれど。
2003年8月2日(土) 17時42分 |
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39.穂高岳山荘到着
これが夢にまで見た穂高山荘である。何度も何度もビデオを見直した。太陽のロビーなどもあると聞いていた。しかし、小屋は小屋。あまり、高い期待を持つのはよくなかった。これだけの標高に、多くの登山者をもてなすということだけで、山荘の持つ意義は計り知れない。
ゆっくりくつろぐというところまではいかなかったが、お陰で1日の疲れた体を休めることができた。混んでいる時の山小屋泊まりとは、そういうものである。
2003年8月2日(土) 17時44分 |
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40.夕暮れの前穂
食事を終えて、山荘前の広場に出てみた。穂高山荘から前穂はこのように見える。ややガスがかかってきており、明日の天気が心配されたが、もう、ここまできたら天気予報を信じて明日を待つしかない。
2003年8月2日(土) 19時04分 |
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41.日没後の涸沢ヒュッテ
井上靖の「氷壁」では、最後にヒロインが夜になってここまで登ってくる。そして、穂高山荘へ扉を開けて入る。それは7月のことであるから、もう少し雪があったのかもしれない。
「氷壁」は、小説でありながら、実際にあったことのようだ。この穂高連峰を舞台にして、滝谷D沢を登る主人公。そのクライマックスがこの場所だったのだ。
2003年8月2日(土) 19時04分 |
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42.日の出前の表銀座
ちょうどご来光は、常念岳方向。
多くの人が、この瞬間を待ちわびていた。
2003年8月3日(日) 4時54分 |
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43.ご来光
ほぼ水平線の向こうから太陽が見えた。常念岳も三角錐の形で一目でわかる。
2003年8月3日(日) 4時57分 |
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44.朝焼けに染まる奥穂
奥穂も赤くなった。
2003年8月3日(日) 4時59分 |
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45.朝日を浴びる前穂
前穂は西面になるので、朝日を浴びるものの、赤くならない。去年横尾から見ると、前穂東壁が朝焼けに染まっていた。
よく考えるとそこは、「氷壁」でザイルが切れた、前穂東壁Aフェースだ。今回、前穂山頂からそれを見よう、と思っていたが、残念ながら前穂へは登らなかった。
2003年8月3日(日) 4時59分 |
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46.奥穂への登山
次々に奥穂山頂を目指して登山者が行く。穂高山荘すぐ横の、この2段のはしご辺りが一番の難所であった。
2003年8月3日(日) 5時51分
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47.穂高山荘を眼下に見ながら
山荘の横をどんどん登っていく。
夕べほとんど眠れなかったのと、高山病とまでは言わないけれど、疲労が蓄積して睡眠で回復できなかったためか、体が重い。山に慣れてないということなのだろうか、元気が出ないが、気持ちだけは張り切っていて、ちょっとづつ前進していく。
2003年8月3日(日) 5時57分 |
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48.次々と現れる登山者
登山者は後から後から我々を追ってくる。ちょっとでも休憩をしていようものなら、どんどん追い越されていく。原因は疲労した身体かな、などと思ったりする。他の人は、2、3泊の予定できているのだ。我々は、1泊。明らかに1日の行動距離が違うのである。
せっかくここまで来るんだったら、ゆとりをもった計画にすべきだと思った。しかし、それは実際には不可能なのである。
2003年8月3日(日) 6時15分 |
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49.奥穂側から涸沢岳
控えめにそびえる涸沢岳。
時間があったら、そこへも登ってみたかった。
2003年8月3日(日) 5時57分 |
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50.槍が北穂の向こうに見える
初めて槍が見えた。槍を見たのは何年ぶりだろう。蝶が岳以来だ。
槍へ登った日は、日程の選択が悪く、ガスっていた。それ以来、基本的には晴れの日にしか、登山はしないようにしよう、ということにしたのだった。
2003年8月3日(日) 6時14分 |
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51.笠ヶ岳
新穂高温泉を挟んだ西側にそびえる笠ヶ岳。最近になるまで気にならなかった。しかし、槍穂へ行った人は必ずレンズに納めている。
かなり、宇和からは遠いので、登ることはできないかも、などと思う。
2003年8月3日(日) 6時15分 |
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52.涸沢岳山頂の登山者たち
14倍のデジタルズームで撮影。多くの人が登っていた。
次回はゆとりを持ってきて、涸沢岳、ジャンダルム、前穂へも行きたい。
2003年8月3日(日) 6時27分 |
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53.奥穂から見た槍
いよいよ槍もはっきり見えてくる。いつも、インターネットライブで見ているが、実際に見るのは感無量である。
2003年8月3日(日) 6時27分 |
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54.前穂
前穂の1,2,3峰も同じ高さになってきた。
この写真では、4峰・5峰・6峰まで入っている。
2003年8月3日(日) 6時28分 |
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55.奥穂山頂への道
かなり、大きな石ころだらけ、岩だらけの道である。山頂までは、この道をただひたすら登るのみである。
2003年8月3日(日) 6時33分 |
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56.新穂高温泉方面
この谷間に蒲田川が流れ、新穂高温泉がある。新穂高ロープウェイもあるが、自分にとってはまだ、未開の地なのだ。
2003年8月3日(日) 6時35分 |